雑文録

とりあえず書いたものを置いておく用

文体の話(四つ打ち・ブレイクコア・ポストロック)

はてなにログインするまでの30秒で考えてたこと5割忘れた。

 

昨月、国家資格試験を5日に終えて、そこから三日くらい休みつつゲームとかして、そこから閏年の2月29日までの間で六万字の小説を一本書いた。自分の中で『この人と会って話すと、別にその時その場で納得とか発生しなくても急に筆が進みだす』という人が居るんだけど、案の定その人にも会っていた。それは別に本題ではない。

 

前作と今作における『人間』の書き方と文章のテンポ、その前提にある自分の行動様式とかその辺の情報処理(発信ではない、発信は小説とかワールドとかでやる)がこの記事、というかこのブログ。

自分の行動様式として、創作を摂取したり勉強したりするインプット⇒外からの情報を閉じて記憶定着や小説生成とかに専念する閉鎖作業系⇒作ったものを外に向けて経路を開いて放出するアウトプット系⇒次に摂取するインプットについての情報とか外の情勢とかを知るインプットのインプット⇒インプット、の流れを無限にループさせている。

 

この『インプットのインプット』がメチャクチャ大事で、目の前にデスストランディングとかinto the radiusとかペルソナ3リメイクとかpasific driveとか積まれていても、アウトプットが終わった後にインプットのインプットを経ずにインプットを行うことはできない。インプットのインプット≒友達関係やTwitterの所属界隈など、呼吸するように入ってくる類いの情報のことで、ここを能動的に決定できないとお前は死ぬ。

 

今回の小説が一か月以内かつ結構イイ感じに仕上がったのは、試験期間というインプットと閉鎖作業を往復し続けるマジでTwitter見てなかった半年の間に、忍殺を読みながらサイバーパンク2077やAC6をやることを唯一の休息にしていて脳内にサイバーパンク文脈があって、そこで試験が終わった瞬間にSAVE THE CATがカバーしてない文体面をバキッと決めるインプットをできたのが大きい。逆噴射先生のパルプフィクション講座だ。

 

忍殺の文章は四つ打ちDTMに似てる。140~150字という枠で強制的に脈絡を完結させる必要を出して、1つのビートで音が完結してないといけない。フェヤフェヨ~ンフヤヤ~ンみたいなアンビエントはビートにならない。さっきの『お前は死ぬ』とかで強制的にビートを作る感じ、読んでてエッ何?ってなって直前までの文章を読み返す、ああ良くない状況になることを言いたいのねって納得する、ためのビートが『お前は死ぬ』。

 

推しの絵描きはいつの間にか漫画家になって、ばちくそバズった音楽のMVのキャラクター作者としての認知度の方が高い。彼のブログは文章をブレイクコアで書く。同じ突拍子の無さでも忍殺みたいな区割りじゃなくて『刻む』こと自体が目的みたいなやつ。ビートニク系、バロウズの『裸のランチ』なんかが近い、あと村上龍とか、昔この辺に憧れたけど脈絡のない事象と言葉を制御できるほど自分の頭は混沌でなかった。

 

文章の破砕。BPMを上げる。死ねとか殺すとかだけが強い言葉じゃなくて、例えばここで急にスタニスワフ・レム「なんかマインクラフト適当につけてはひたすら西とかに歩き続けてる」とか急に言われたらエッてなる。そんなこと、言わないよねぇ!ってなんんも強い言葉じゃないけど、ビートになってる。今から武器を構えることができる。

今から武器を構えることができる。

こんな感じでビートを上げまくるとブレイクコアになる。村上龍コインロッカーベイビーズの『倒れまいと思って次々に足を出す、それが走るということだ。四つん這いから立ち上がった最初の猿はきっと全力で走ったのではないだろうか』ってパンチラインは一生覚えてると思う、後半は場面展開になんの関係もない。でもビートなので要る。

 

ビートだけだと物語にできないので、ビートを制御して四つ打ちにできると読みやすくて面白い文章になる。今作と改稿してカクヨムに上げる作業中の前作が脳内で勝手に比較される。両者はテンポ感が違って、その一番の理由として登場する『人間』の存在様式が違う。今回は定式化した人間を書いた、前回は生身の人間を書こうと『思った』。

 

観察対象が生身の人間でも、それを観察しているのが自分である限り、その記憶を参照して記述される文章は、読んでも『生身の人間』として受け取られない。今作は徹底的に忍殺における人間の使い方みたいなのに寄せた。素早く生きて素早く死ぬ、そのために脳内に構築された文脈を使って情報を圧縮する。サイバーパンクが出て殺す。

 

自閉的かつ没交渉な人間でも、効果的に人間を描写するコンテンツに染まれば人間を書ける。人間と自分自身で接する利点は、自分の視座から観測される人間存在(その焦点の当て方)のオリジナリティで、これは小説というジャンルの必須要件ではない。一番好きな音楽のジャンルはポストロックだが、当分は文体に取り込めないと思う。

 

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結節性硬化症という先天小児神経疾患を持った友達が居て、彼は自殺したらしい。将来の死因になると思っていたものは案外、死因にならない。死亡診断書では直接の死因と、それを引き起こした傷病である原死因を書く。原死因は、更にその原因となった疾患があるなら(ア)→(イ)→(ウ)→(エ)まで遡るが、そこから先は書かない。

 

原死因の遡及回数をn=∞にすれば生まれたこと自体が、

 

彼が国試が終わったら行こうと誘ってくれたラーメン屋を探し当て、一人で行った。もう昨年のことになるが、死因を知ったのはつい最近だ。