雑文録

とりあえず書いたものを置いておく用

【あらすじ千本ノック】終わらない14歳の終わり【五本目】

その女学院には奇異な慣習があった。14歳の誕生日を迎えた者は、まだ15歳の誕生日を迎えていない者から“少女”を演じることを教えられる。

“少女”は真っ白なワンピースドレスを着ている。麦わら帽を目深に被って目元を隠している。髪はなるべく長いほうがよく、染められていない黒髪である。“少女”は人通りの少ない場所で一人きりで居る人間の前にしか現れず、感情を見通すことのできない微笑みを口元に浮かべており、ほとんど言葉を交わすことはないまま何処かへと去ってしまう。

それは女学院の設立した当初に誰かが始めた“14歳の少女にだけ演じられる想像上の人物は、永遠に14歳の少女として実在し続ける”という遊びであった。

演じる者は“14歳の少女”の素性に一つだけ自身の秘密を付け加えて、日常生活の中で明かすことのできない本当の自分を、演じている“少女”である間だけ曝け出してもよいという決まりがあった。

それらの“秘密”とは往々にして後ろ暗いか傷痕のようなものであり、その暗闇だけを受け継いで“少女”の人格はより豊かなディティールを持つようになっていく。何時しか“少女”はただの遊びではなく、誰かに言わずにはいられない悩みや苦しみを託された、誰のものか分からない秘密の集合体となっていた。

その“14歳”という架空の存在に興味を持つ部外者も少なくはなかったが、女学院でその真実を知るものは決して“秘密”を明かすことはない。14歳を過ぎた者は“少女”を演じることは許されないが、自らの知られたくない恥や暗部がその中にあるからだ。

“少女”は包丁を隠し持っており、今までに何人かを刺し殺している――そういう秘密が誰かの本当の過去から受け継がれ、女学院の中には人気のない場所での刺殺事件が多発する。14歳という若気の至りによってのみ演じることのできる“少女”の人格は、しかし14歳という未熟な心にたやすく影響を与えるだけの狂気を持っていた。

犯行者は“少女”であり幾人居るかも分からない14歳の生徒達の全員であり、そして歴代の“少女”しか知りえない女学院の秘密の通路や、誰かの成し遂げた完全犯罪のやり方という“秘密”を知っている。14歳を過ぎた上級生たちも年を追うごとに過激になっていく“秘密”の中に、明かせば自らの人生が破滅するような過去を隠している者ばかりで、また多くの教師もその女学院の出身であるため“少女”の殺人事件への捜査は難航する。

遠久永子(トワA子)は13歳の頃から狂っていた。秘密を“永遠の十四歳”に託されるまでもなく実父と関係を持ち、複数人を残虐な方法で殺したことがあり、名は知られているが顔を知られていない画家であり、上級生を“下僕”とした主従関係や下級生を“お姉さま”と呼ぶ爛れた関係を持っていた。

A子はその風習を知らされた14歳の誕生日に“少女”だけが知っている隠し場所から拳銃を持ち出し、誰も見ていない桜の木の下でロシアンルーレットを行い、そして15歳の誕生日を迎える前に“少女”の新たな秘密を14歳となったばかりの同級生や下級生に伝えた。

“14歳の少女”には14歳を迎えてすぐに、リボルバーの拳銃に一発だけ弾を込めて五回引き金を引いたという秘密が与えられた。それ以来、その女学院で狂った“永遠の14歳”の姿を見る者はほとんど居なくなり、けれど14歳の誕生日を春に迎えた者がごく稀に、桜の木の下で自らの頭を撃ち抜くという事件が発生するようになった。

それから十数年後、美術講師となり女学院に戻ってきた遠久の日課は、桜の木から人通りが絶えるとデッサンを始めることだ。そこで白いワンピースに麦わら帽子を被った少女が、リボルバーで頭を撃ち抜く光景が見られると、遠久は少女を桜の木の下に埋めてやって拳銃を元の“隠し場所”へと戻すのだ。

【あらすじ千本ノック】これまでの成果物の一覧【随時更新中】

・習作であるので完成度が低くても恥ずかしがらない、試行回数を増やしてPDCAをガンガン回していこう

・お題募集してます

・ファールは自分でなんか違うな……ってなったり単純に反応が貰えなかったもの、ヒットはたとえ出オチでも何かしらの反応をせずにはいられないくらいのインパクトがあるもの(なのでヒット部分だけ読んでくれても良いです)

・ヒット以上のはなろう辺りにバンバン投げ込んでも良い気がしてきたが、あそこが嘘予告やあらすじ単体で投げ込みまくるの規約違反じゃないか分からないので後で

・お題募集してます

 

■一打目(ヒット)

 

・Plan(使用したお題、心がけた点)

 

お題『どう足掻いても変態ちゃん⇒品行方正でなければならない立場だが、錯綜した性癖や強すぎる衝動に振り回される女の子が、自らの欲望を制御しようと戦う』

お題『哲学する超新星の歌姫⇒宇宙をまたに掛ける大型新人の歌い手が、変態性欲とは何かについて哲学する?』

 

別の企画で投げられていたお題を見ていたら、急に“マニュアル”が降りてきたので何も考えずに作って一人で爆笑してたやつ。理論(マニュアル)と実践(これ)がほぼ同時に思い浮かんだので、後々まで時間が開いても二つの並べて見ながら運用できるので再現性が高い。

 

・Do(成果物)

 

http://karina-kamei.hatenablog.com/entry/2020/06/23/175312?_ga=2.20973048.290072814.1592900130-1704328570.1592180869

 

雑多なアイデアメモ⇒けもフレっぽい導入・太陽温が低下した未来なのでマフラーしてる地球ちゃん(マフラー引っ掛かって「たすけてー」なる)・人類は科学技術でギリギリ生きてるが、ほとんど身体や遺伝子をデータ化して乗り切ってる状態(要はガンマ線バーストした後のディアスポラ)・アイドル営業中に性欲が爆発して、重力変動で地球ちゃんと衝突しかける失敗をしてしまったところから話が始まる。このままじゃアイドル続けられない!・シナリオのジャンルは『オズの魔法使い』とかに連なる『おうちが一番』の系列で、性欲について調べていくうちに清楚な第一印象から性欲オープンにしたキャラ付けで人気出てる地球アイドル(⇒Vtuber?)が居るのが分かって、じゃあ私も地球ちゃんとの百合営業(ガチ)しても良いんじゃん!!!ってなってハッピーエンド(地球ちゃんは太陽系に帰れない)・天文ネタは小学館の宇宙のやつ(こども百科事典)でゴッソリネタを集められる?

 

・Check

あらすじ単体としては複数の人に(ハーブでもキめてんのか?とかアイエエエ……とか)反応を頂いたので悪くないと思うんだけど、自分の持っている知識や展開の引き出しと合わなかったために『嘘予告』のままで止まってしまった。

 

・Act

自分が知識を多く持っている/活かせる経験のある領分へと、舞台や物語を引き込めるようなお題の選択?

 

■二打目(ファール)

 

・P

お題『異世界への窓(⇒自分の世界とは全く異なる景色を見せる板の。その向こう側へと行こうとする※妖精)』

お題『消された未来からの復讐(⇒愛を誓い合ったことを忘れた相手に、二人が一緒になると未来を誓い合った※エンディングの果てから訪れる妖精)』

 

※印より後ろは二つを一つのあらすじに結合するために、双方のお題がある程度作られるまで空白欄にしてました。確かノリと勢いで作った一打目でも同じだったと思います。

 

・D

「わたしを好きだと言ってくれた、あの人の居る窓の向こうへ」

 

妖精メアは異なる空間同士を繋ぐ転移魔法『窓』の使い手の家系に生まれたが、メアの作る『窓』は入ることも出ることもできない出来損ないばかり。魔法が使えなければ妖精としての地位が保証されない妖精境で、メアは魔法の練習中に偶然この世界とは全く異なる風景を映しだす『異界への窓』を呼び出してしまった。それ以来メアは魔法の練習に疲れると『異界への窓』を隠した場所に向かい、映し出される異世界の景色を眺めるのが密かな趣味となっていた。

ある日を境に『異界の窓』は別種族の異性ゴトウと繋げられたまま固定されてしまい、人見知りのメアは話しかけてくるゴトウを疎ましく思う。しかし自分が妖精であるというだけで愛してくれるゴトウと、メアは徐々に打ち解けていって妖精境での愚痴や異世界についての質問を交わすようになる。やがてゴトウと『窓』が途切れても変わることなく互いを好きでいようと誓い合ったメアは、『異界の窓』の向こうに行くため更に魔法の技量を高めていく。

現実世界の冴えない青年ゴトウは気付いたらヒロイン全員が妖精のギャルゲー『妖精境にようこそ!』の世界に転移していた!目の前にはサブヒロインの妖精メア、二年ぶりに会えましたねってなんのことだ?チート能力も魔法もないけれど異世界文明の利器もメアが『窓』で取り寄せて、妖精境に迫りくる帝国の脅威にも現代兵器で無双する!その功績を認められてゴトウは別種族で初めて妖精境の支配者への謁見を許され、愛しのメインヒロイン妖精姫アリアちゃんとの出会いに期待MAX!あれ……メインヒロイン、妖精姫アリアちゃんは?異界の技術で既存の王権を打倒した『妖精帝王』ってなんのことだ……メア?

 

――“メアルート”のエンディングで永遠の愛を誓い合ってから二年間。

 

※雑多なアイデアメモ⇒元の世界に妖精が侵攻?電子機器の液晶があれば何処からでも妖精境と繋げられる『窓』、スマホというネットワーク世界への窓との関連性?妖精境にようこそ!自分が妖精であるというだけで愛してくれるゴトウを好きになるが、ゴトウは妖精であれば誰でも良かったという対比。

 

・C

なんか……なんか違うんじゃないか!?となってしまった。今までの自作で終盤になるほど展開が荒くなっていく時の、その手癖がモロに出たような展開だな!という点では課題の洗い出しに役立ってはいるか。当然これを某掲示板に挙げた時は誰からも反応は貰えなかったが、ここで見つけた問題点から翌日の三打目でヒットを飛ばせたのかもしれない。

メアが呼び出した『窓』には自分√のエンディングを終えた後、他のヒロインの攻略ルートに進んでいくゴトウも映っていた……というのが前半と後半の間の出来事で、お題(消された未来からの復讐)のメインの部分なんですけ当該あらすじの中にそれを組み込めていない。元の世界になんて戻りたくない主人公ゴトウは転生モノを意識してメタっているが、なろう文脈への理解が浅すぎてちゃんと活かせていない。

ちょうど掘り当てたエロゲの曲の【変わらないで、ねえ言ったじゃん。変わることなく好きでいようって、形ない口約束かんたんに終わるのね。止めないで、ねえ永遠に続く恋をしようって――】って歌詞にかなり影響を受けたけど、お陰で手癖がガンガンに出まくってしまった感もあるので千本ノック中は変に歌詞がある曲は聞かない方が良いな

 

・A

とはいえ『ストライクとボール』を避けるための、お題の選択方法には幾らかの法則を見出すことができた。まず固有名詞よりも言葉遊び的な造語や、シチュエーションを表す品詞の組み合わせが使いやすい。これは作者ごとの“展開や知識の引き出し”というのが固有名詞に紐付けられていて、この部分の可動性を確保しておくために固有名詞の指定はない方が良いということ?

またお題の中に含まれる形容詞や自分が持ち出してきた知識の引き出しに、物語の舞台となる要素やこれから起こる出来事がイメージできる単語が入っていること。時間的、空間的な広がりを指定してくれる単語が、どちらかのお題に存在していると打率が高くなる(“超新星の”や“立方体⇔仮想空間”、“羊毛刈り=災厄”など)

 

■三打目(ヒット)短編として執筆中

 

・P

③主題『羊毛刈り(⇒印象:②人間という羊を導く神という羊飼いが①滅びない程度の災難を与えるのは、彼らの代謝物が過剰になるのを防いだり回収して維持費に充てるためだ)⇒』

③主題『律法体(⇒印象:②古代において超自然的な構造物として神聖視されていた立方体は①全てが人造の世界では最も簡易でありふれた形となってしまった)⇒』

 

・D【あらすじ千本ノック】■契約の豆腐[Unity cube]■【三本目:執筆中の書き出し部分】http://karina-kamei.hatenablog.com/entry/2020/06/28/185331

 

・C

何故かあらすじじゃなくて書き出しが生成された……この辺のユーモア?は『狙って出してやろう』と思ってなくて、ただ単に自分の思うことを出力したら自分と常識のズレから勝手にアイロニーが発生したみたいな感じ。最近分かってきたが何かしらズレてる人が単純にウケを狙って作品までズレさせるとわけ分らんことになるので、自分のズレがどこにあるか把握して活用法を覚えていく方が良さそうだ。

 

VRC住人以外から好感触だったので書き出すことに。上記のはすげーゴリゴリに技術面の考証もせずに書いたから、本編でもはもうちょい読みやすい文章になってるはず

 

二本目と三本目の間に創作関連の掲示板で『あらすじで引き込むの難しくない……?』に対して『超むずいと思うし、同時にだからこそ一番練習したい部分でもある。〇〇氏のお陰で然るべき情報の切りつめがあれば文章は書けるし、設定とかの発想力は△△殿を参考にできるんだけど、ここに居る結構な人にとって脚本とかあらすじって結構な鬼門だと思うし』というような会話があってモチベーションが二日連続で続いてたと思い出すなど

 

・A

Cと併せて書き終えたら考えよう……

 

■四打目(ファール)

・P

③主題『世界.docx(⇒印象:②周りに暮らす人々や訪れていない土地を含めた広大な世界は①文字によって記述され、書き換えることで過去と未来も改変されてしまう)⇒』

③主題『綿雲よりも柔らかいもの(⇒印象:②幸福をも恐れて綿で怪我する弱虫が、①自らを傷付けないものを探す))⇒』

 

・D『人間失格.docx     .exe』

人と人が通じ合うための言葉ではなく、独自のルールによって事物に作用する異能を実行する言語、正しい書式で記述することで任意の現象を引き起こすことができる『呪文』の存在する世界。過去と未来の出来事を全て記したとされる遺物『アカシャの書』を解読した言語学者オサイ=ダーザムは、それが『書』そのものに呪文を発動させて存在形式を変更することで『この世界』という現象を実行している“呪文”の書であることを知る。

呪文とは『アカシャの書』を意思疎通に用いる言葉から書き換えて、世界を改変するための書式であった。そしてアカシャの書を解読して書き換えることのできる呪文師は、過去から未来までの全ての事象を見通して自由に書き換えることのできる全能の存在となるのだ。オサイ=ダーザムは卓越した呪文の才を除いては守るべき家族も正義も持たず、これまでにも自殺未遂と心中未遂を繰り返している精神的な破綻者として扱われてきた。全知全能で精神を患った、世界を破壊しうる薬物中毒の神として討伐隊を組まれたオサイだが、彼は王国に投降して囚われの身となることを自ら選択する。

討伐隊長として駆り出された時呪文師のチタ=ケイは『アカシャの書』を取り上げられ、厳重に囚われたオサイから投降した理由を聴取する。オサイは世界を滅ぼすどころか誰かを傷付けることすら恐ろしく、むしろ自己の存在を『書』から消し去ることを目論んでいたと語る。オサイが過去と未来の出来事を全て記した『書』から最初に読み取ったのは、『書』の正体ではなく自らの求める“安心”が世界の始まりから終わりまで一度も存在しないという事実であったのだ。

「綿雲よりも柔らかいもの、幸福ですら傷付く弱虫をも抱き締められるもの――それは暗闇か?静寂か?私はそう考えた――違ったのだ。この半生の中で自らの心に一度の安らぎも訪れなかったのだとしたら、私の思考しうる概念の中にそれは存在しないのだ。故に私はこの世界に存在しうる全てを知り、その全てを書き換えることができたとして、書の中にも存在しない自らの安らぎを書き足すことだけはできなかったのだ」

 

オサイは『書』を使って世界にただ一つだけ呪文を発動したと告白する。それはオサイの半生を綴った長大な文章によって構成され、最後に『ただ、いっさいは過ぎていきます』という意味の言語で締めくくられるものだ。

 

(※この先はちょっと無理があるか?一時間で作ったアドリブ故仕方なし)

その呪文はあと数秒したら世界に効力を及ぼすという、オサイの言葉を聞いてからではチタはその“過去”の出来事を書き換えることは叶わなかった。それから世界は表面上――何も変わっていない。光呪文師も音呪文師も、火呪文師も氷呪文師も雷呪文師も、空間呪文師や心呪文師はごく稀にだが存在する。現在から世界の終わりまでの全てを記した『アカシャの書』を管理する者は呪文を使えない文盲の武人にのみ統一されており、また万が一に『呪文』を読み取れてしまった場合に備えて、常に満ち足りており欲を持つことのない者が選出されている。アカシャの書は何時開いても、今日の出来事から記述されている。

 

・C

今回は起承転結まで書いたな……マニュアル撃てる(ファールかヒットにはなる)ときの条件はなんとなく見えてきた感じがするので、後は当たった中からファールとヒットの際の要素を比較してPDCA回していく感じになるかな、とこの段階でようやくブログに起こす気分になる。

作品に関してはまた展開に『後半の悪い手癖』が出ている、二本目に非常に近い展開だが気付いたこともある……そういや自作、オチから作ったことないなと。大体勢いで作った序盤の展開をバックストーリーとして下敷きにしつつ、それより後の時系列から本編を開始していくパターンが多いから後半の展開の息切れが明らか。

 

・A

敢えて言うなら『本編のある過去編を作る(後日談を本命に据えた前日譚として書く)』っていう方式だと物語の着地点を定めて書くことができる(ポートフォリオの『夕暮れ戦争』と『茨の王冠(執筆中)』は後日譚が先に書かれていたり構想レベルで存在する。この方式だと二作品分のコストがかかるのが問題だが、これができてなかった『鋼の森のアリス』は後半の展開の弱さ(世界や主人公が変化していかない)が著明だったので、改稿する際には後日譚から始めても良いかもしれないなと思うなどした。

 

■五本目(ファール?)

 

P 別所で企画に乗ってくれた人のあらすじの書き方を参考に、お題の品詞をキメラにして主語で物語を立ち上げて述語でオチをつける感じを試してみた

 

③主題『“守る必要のない秘密”の同盟(⇒印象:②公に知られれば不利益になるが誰も知りたいと思わない真実を①互いに共有しあうことを目的とした同盟)⇒』

③主題『“永遠の14歳”という仮想人格の継承(⇒印象:②14歳の間だけ“彼女”を演じることで①“彼女”は永遠に14歳であり続けることができる)⇒』

+桜の木の下でロシアンルーレット

+ワンピースドレスを着た狂人

⇒秘密の同盟によって継承された“永遠の14歳”という仮想人格(主人公)が、桜の木の下でワンピースを着てロシアンルーレットをする(オチの)話

 

D

karina-kamei.hatenablog.com

C

上記の方法を参考にさせてもらった場所で『演じ始めで拳銃自殺まで持っていけるんだろうか』と言われて確かに……となった(感染型の噂話に対して感染源を即潰す方向性の解決だから、拳銃自殺は初手で行わせないといけないので詰み)

あらすじの述語にオチを依存させる形式で事態の終結まで書けるようになったけど、終盤の展開が雑なのが自分の弱点に変わりはない(特に手癖が出るとヤバい世界や事態にもっとヤバい奴が出てきて何もかも無茶苦茶にして終わるみたい展開になりがち)
あと単純に下敷きにできる知識や経験がないので、超新星アイドルと同じく嘘予告で終わるやつ

 

A述語でオチを固定する時点で、書けるような物語の方向性に落とし込んでいく必要がある?手癖の発生率が高過ぎるのはワンドロ時間の短さとかもあるけど、素直に依り代(模倣やオマージュ先)を考えながら書いていった方が良さそう

起承転結でいう起承をキメラにした主語、転結をキメラにした述語で設定できること自体は有用なので次に活かしていきたい

 

■ストライクとボール(使えてないお題:後で再利用させてもらうかも)

・墓石のゴーレム

・コライダーを持たないネフィリム

・セフィロトの苗木:生命の樹は、旧約聖書の創世記にエデンの園の中央に植えられた木。命の木とも訳される。生命の樹の実を食べると、神に等しき永遠の命を得るとされる。 カバラではセフィロトの木という。

・宇宙卵のメレンゲ

・仮想人格の継承

・聖櫃

・ヒンノムの谷

グノーシス(あるいはテクノ・グノーシス

・文化英雄

・黄金の林檎

・トゥアハ・デ・ダナン

・オシーン

・ゲーデ(ハイチのヴードゥー教)

ウィツィロポチトリ

・バーバヤガ

盤古

・企業傭兵

・図書館

・聳える砂漠

・魔法学校

・守る必要のない秘密

・農家

・哲学繊維

・水中都市の空模様

・王都炎上

・殺す直前に飽きてしまう殺人鬼
・死ぬのが怖いと死にたくなる
・虚空より来たる歌
・平安遷都
尊皇攘夷
水晶宮殿
産業革命

【あらすじ千本ノック企画】超新星アイドル、カナンちゃん!【嘘予告一本目】

超新星アイドル、カナンちゃん!(嘘予告)

 

「やだぁ……ガンマ線バーストするとこ見ないでぇ……♡」

宇宙をまたにかける大型新人(物理)な大質量恒星アイドル『超新星[スーパーノヴァ]カナンちゃん』は青白色の輝きを持つ清楚なガス球の見た目とは裏腹に凄まじい性欲の持ち主で、興奮しすぎると中心温度が約100億度に達して鉄の光分解により絶頂(超新星爆発)してしまう変態さんだったのだ!

スキャンダルを避けるためにプライベートでも禁欲生活で、カナンちゃんの欲求不満はもう限界!ファンの惑星たちを巻き込んでブラックホールと化す前に、異常性欲を抑えるための方法を見つけないと!そしてカナンちゃんは自らの起こした重力変動による公転周期の乱れで、惑星や恒星たちが意志や命を持つ前から生きていた『ヒト』という種族の残存する惑星(地球ちゃん?)と危機一髪の出会いを果たし、彼らの文化を辿って『恒星にとっての性欲とは何か』という哲学の旅に出るのだった……

 

……なにこれ?(あらすじ千本ノックについて)

 

頂いた『どう足掻いても変態ちゃん』と『哲学する超新星の歌姫』というお題から、一時間で書かれたトンチキあらすじ。与えられたお題をショートストーリーのあらすじに出力する“あらすじマニュアル”を使って作られた最初の習作です。

マニュアル通りに作ればお題を頂けるたびに半自動であらすじに変換できるため週2~4本ペースで書くことができます。あなたが当サイトのコメント欄やTwitter、VRCなどを介して投げてくれたお題からも“あらすじ”が生まれます。

 

“あらすじ千本ノック”は絵描きの方が一日一枚デッサンを描いて画力を上げるように、お題から架空作品のあらすじを作っていくことで小説の脚本力を鍛える練習方法です。ほとんどは実際に書かない『嘘予告』になりますが、見ている人にある程度の反応を貰えて、自分の知識と技量でも書けそうなあらすじは短編小説として実際に書いていきます。

自分の作った小説について『設定がもう少し平易な短編で読みやすい文章を書いてもらって、その上で文章力の問題点とかを見定めてみたい』というアドバイスを幾つか頂いており、その短編を書く題材の募集も兼ねています。つまり脚本力と読みやすい文章を一挙に練習するにあたって、なるべく多種多様な人の目に触れることを目的とした『企画』です。

 

■そもそも“あらすじマニュアル”とは

 

貰ったお題を〇〇(登場人物)が××(行動)するという状況説明文に変換して、それを二つ組み合わせることでミスマッチ(皮肉)や舞台の広がりを演出する手法です。当作は『どう足掻いても変態ちゃん』と『哲学する超新星の歌姫』というお題を頂きまして、

 

お題『どう足掻いても変態ちゃん⇒品行方正でなければならない立場だが、錯綜した性癖や強すぎる衝動に振り回される女の子が、自らの欲望を制御しようと戦う』

お題『哲学する超新星の歌姫⇒宇宙をまたに掛ける大型新人の歌い手が、変態性欲とは何かについて哲学する?』

 

と変換したところ、歌姫は品行方正っていうか清楚じゃないといけないよな?みたいな連想から……あっ(上記の嘘予告あらすじ文が自動で生成される)

という感じで作られた一本目のヒット(?)です

 

■改めて、募集しているものと企画について

 

ネトゲの交換募集風に言うと

【ゆる募】小説のお題(できれば20字以内・具体的な説明文でない方が採用しやすいです)

【出(返礼)】あらすじマニュアルで複数のお題を掛け合わせた、短編小説/あらすじ

【期間】無限、常に募集してます

って感じです。

 

お題は当サイト以外でも、連絡が可能な場所であるなら気軽に投げてください(使えるやつは使います)。また投稿したあらすじの中で、何かしらの反応があったものは短編として実際に書いています。

 

■TIPS(あらすじマニュアルに興味がある人へ)

 

脚本指南書『SAVE THE CATの法則』に書かれている

・あらすじ(ログライン)とは“つまりソレってどういう作品なの?”という問いに、十秒以内に答えられる文章のことである。

・ログラインには『皮肉(劇的な状況)・イメージの広がり(舞台を想像させる言葉)』が必要である。 というアドバイスを参考にしています。

 

具体的には、それぞれのお題を〇〇が××するという状況説明文に変換する際、〇〇に収まる人物は、立場や性質上××という行為をしたくない(のにしなければならない)や、してはいけない(のにしたくてたまらない)といった、皮肉や葛藤を〇〇と××の間に入れます。

 

そもそも単語として貰ったお題を、〇〇が××するといった状況説明の文章にすることも人によっては難しいかもしれません。自分は昔の記事(http://karina-kamei.hatenablog.com/entry/2018/02/09/154240?_ga=2.247172551.290072814.1592900130-1704328570.1592180869)に書いたような思考過程とメソッド?を使用していますが、文章が超長いのと書き方は人それぞれな部分だとも思うので興味が湧いた方だけ読んでみても良いかもしれません。

かんたんポートフォリオ

ただ単に自分のやってきたことを纏めてる場所がないなと思ったので仮組み。

 

■執筆

 

・『夕暮れ戦争』

モラトリアムな少年漫画系バトルもの。

他者を拒絶して閉じ籠ることで生きてきた内気な少女、篠崎ひかりは迷い込んだ廃工場で巨大な銃を持った少女に命を助けられます。

少女の力に憧れた篠崎ひかりは“普通”の生き方を選べなかった子供たちが、与えられた魔法で願いを叶えるために戦う『夕暮れ戦争』に踏み入れます。

https://ncode.syosetu.com/n3726en/

 

・『鋼の森のアリス』

時代に置いていかれた文化を振り返るサブカル“不純”文学。

自意識が重量級な文学部生 白鳥有栖が書いた“手稿”と、それを読み返した将来の彼女が当時のことを小説にした“鋼の森の有栖”が交差しながら進んでいく作品です。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054897264190

 

・『契約の豆腐[Unity Cube]』

VRSNSモノ。現在、折り返し地点まで公開しています。

 

https://ncode.syosetu.com/n3726en/

 

■ワールド作成(VRChat)

・夏の避難所(escape from summer)

 初パブリッシュのワールド。拙い面は色々と見受けられますが、今でも好きでたまに足を運びます。

 

セロトニン工場(SEROTONIN FACTORY)

 

・冬の避難所(lonely winter night)

 

・海の牢獄

 

◎米津玄師『恋と病熱』PVみたいな雰囲気小説が書きたい

www.youtube.com

(注:米津玄師『恋と病熱』そのものではなく南方研究所による公式PVを文字媒体による創作に落とし込むための思考実験ですが後半からようやく本題に入ります)

 

最近、小説を書き進めてしまうのが怖い。脳内に形なきものとして蠢いている構想はその時点では完璧なものであっても、文字として物語の中に落とし込んでしまうと否応なく不完全な面というものが見えてくる。けれど完成しない物語は批判を受けることもないが、それは完璧であるためでなく不完全さも力も存在しない虚無であるからだ。だから結局、作品の出来に悩みながらも書き続けて、駄目だったら倍以上の労力を支払って書き直すか次に移るしかない。それは失敗するかもしれない賭けを続けなければ大局的には負け続けてしまう人生にも似ていて、けれど人生に限らず世間の大凡のことが同じような仕組みになっているのだろう。トライアンドエラー、失敗してしまうかもしれないと考えるよりも、成功するまでに幾度の失敗が必要かと考えた方が気が楽だ。私は少なく見積もって二度の失敗を経験し三年の年月を使い潰したし、自分が二度の失敗程度で成功に辿り着けるかどうかは怪しいものだ。けれど挫折などという言葉は失敗と無縁でなければならず、ただ失敗を積み重ねて高みに至ることを一般に努力と呼ぶ。問題はただ、自らの寿命と成功までに重ねる失敗が要する時間のどちらが長いかというだけのことだ。

さて本題に移るが、雰囲気ばかりで内容のない小説のことを『雰囲気小説』といってこき下ろされることがある。けれどそれは雰囲気に関しては相手に認められているということで、むしろ一定の成功を収めていると言えるのではないだろうか。雰囲気は『キャラクターアニメ(登場人物の描写ばかりで物語のないアニメの蔑称)』などにおけるキャラ性と同様、お高く留まった創作者に蔑ろにされることがあるが、物語性や内包するテーマ、世界観と同様に作品において必要なものである。逆に、その五つの中の二つくらいが上手くできていれば作品としては成功の部類であるように思う(おおよそ一つでアマチュア、二つが上手く出来ればプロ級、三つ以上となると化け物と考えて良い)。そして私は『雰囲気』に秀でた小説が書けない(それ以外が書けるというわけではないが、特にそれが書けない事に今不便を感じている)。

雰囲気というものは極めて多様だ。前向きな雰囲気、頽廃的な雰囲気、エスニックな、牧歌的な、パンクな、ポストモダンにオカルトパンクと何でもあるが、自分がどれを求めているかということを理解すること、そしてそれを書けるようになるのは極めて難しい。今の自分は特定のGL系作品や雑誌アフタヌーンに類する作品の持つ雰囲気である『エモさ』というものに関して辛うじて演出することができるが、それ以外の雰囲気となると判別するのがやっとで自ら書くには理解も技量もまだ足りない。ある程度『エモさ』を描くことができるのは、その感覚を『エモい』と言い表してより『エモい』作品を求めようとする消費者と創作者による文化圏に一定期間属していたからだ。どのような作品がエモいのか、それらの共通点を見出して模倣すること、消費者が『エモい』と評する部分がどのようなものなのかを理解することによって『エモい』作品が書けるようになると思う。それは『高い』という概念を知っているからこそ『高く跳ぼうとする』ことが可能であるのと同じように。

自分は今、米津玄師と南方研究所による『恋と病熱』のPVのような、或いはナンバーガールが映画『害虫』において流した『I don’t know』の音楽と映像のような雰囲気を小説に憑依させたいと思っている。けれどこれは『エモさ』についての自分の理解よりも一段階下にあたる。その2作品が何かしらにおいて高いボルテージを持つことは分かるが『その尺度』を表すための言葉を持たず、また『その尺度』が高いことを善しとする創作界隈や消費者界隈(オタクやファンとも言う)を知らない。探してはいるのだが『尺度』について真摯に向き合っている界隈を見つけることはできなかったのだ。(『この作品が好きな自分』が好きだというだけの似非ファンが多いのは純文学や海外文学等、それを好きであるという事実が何らかのステータスに見られるようなジャンルにおいて多い現象であり、その中から作品を解体して己の求めるエッセンスを啜る求道者的なオタクというのを見つけるのは川底の砂利から砂金を掬いだすほどには難しい)

自分はある種の作品について『刺さる』『破壊力がある』と表現することがある。闇や苦しみを外側のもの、つまり他者のそれを嗜虐として楽しむスプラッタとしてでなく、己の内側にあるそれに踏み込み暴き出し、心の脆い一点を鷲掴みにしてくるような作品のことだ。必ずしも悲劇やグロテスクなものであるとは限らず、むしろ敢えてポップな曲調から着飾ることのない素朴な歌詞で『刺して』くる歌というものを知っている。名もないそれらは負なる事象(マイナス)に美(プラス)を見出すアングラ・サブカルチャーと隣り合わせでありながら対極に位置するものであり、また既存の正しさ(プラス)に歪(マイナス)を見出す類いのアンチ文化とも違い、ただ苦しみ(マイナス)を苦しみ(マイナス)として描くことで誰かの秘した苦しみに寄り添う第三象限的なものだ。どれが正しいということはなく、ただ創作者である限り己の書きたいものを自覚し、そして書きたいものを書くための手段を手に入れなければならないというだけの話だ。イタリア料理と二郎系ラーメンに料理としての優劣を付けてどちらかが消えなければならないという道理はないし、二郎系ラーメンしか作れないならばせめて旨い二郎系ラーメンを作るしかないだろう。私はどちらも好きだが、生憎ケレン味の強くて胃もたれする二郎系ラーメンしか作れない。

 

また話が逸れた。そうそう米津玄師(&南方研究所)『恋と病熱』の話だ。ひたすらに歌詞と音楽、絵面でこちらの心臓辺りを殴ってくる。最初にあのPVを観たのは三年か四年ほど前になるが、未だに作品を妄想する時の基盤に根を張って影響を与えてくる。ただし半年ほど調べた限りではあの種の作品は突然変異的に生まれたものであり、二番手三番手と続けば類型によって消費者も集まり一種の界隈というものが築かれるが、なまじ一作品として有名過ぎるとオタクは数多のファンの中に埋もれがちだ。単体の作品の中から自分が感じた雰囲気を作り出すエッセンスを見つけ出すのは極めて難しい(最大公約数を取れないため)が、足りない材料を嘆くよりも冷蔵庫の中にあるもので料理を作るしかない。だから『恋と病熱』という作品を徹底的に解析することで、そして彼の他の作品との違いを明らかにすることで自らが当該作品で『刺さった』ものの根源を理解し、少しでも近づくしかないだろう。ちなみに自分に音楽関係の知識はなく、また映像や絵画についてもからっきしで、じゃあ自分の畑である小説関係はどうかと言われても大した知識がなく、だから知識も才能も今から積み上げていくしかない。これは豊富な知識を持つ人間の解説授業でも、作品愛を持つファンによるラブトークでもなく、ただひたすらに技術の盗用を重ね、他人の武器を奪うことによってのみ戦える模倣者が新たに一つの技術を盗もうとする過程を書き記した記録に過ぎないことは記憶に留めておいて欲しい。

ミル貝(wikipedia)で彼の影響元を調べたところの3アーティスト(アジカンバンプラッド)については自分も割と好きで、また往年のニコニコ動画についても結構入り浸っていた(『ハチ』としての作品も率直に言って大好きである)。そして続く文章に“歌詞の世界観に文学作品からの影響を公言しており[37]、現在までに宮沢賢治の「恋と病熱(詩集『春と修羅収録)』」、井伏鱒二の「山椒魚」、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」をモチーフにした曲を発表している。”……恋と病熱元ネタあるの?マジで?マジかぁ……知らなかった……(春と修羅も別アーティストが曲名にしてましたね、あれも好きです)斯くも無知とは罪なるかな、ならば知ることは罰になりましょうや?知りません、次。それはそれとして『ニコニコやFLASH文化で組み上げられた感性によって文学作品をプリズム的に変化させる』というのは質感の出し方の一つであるように思う。

この映像に関して、『ストーリー』はあまり無い。いや解釈好きにとっては存在するのかもしれないけど、自分がないと思えば自分にとっては無いのだ。自分が感じ取れないものなら、自分と同じような受け取り手は感じ取ることができず、そして基本的に自分と似たような人間に向けて作品は作られる。ただ曖昧なストーリーラインと膨大な質量で殴りつけてくる雰囲気しか存在せず、そしてそれだけが存在すればMVとしては十全に過ぎる。これはハチ氏が最初に『音楽に対する見方が変わった』と言ったらしいFLASH文化にかなり通じるものがある(良いよねガラクタノカミサマ私も大好きだ!)基本的にあれは既存の音楽(音ゲーやロックバンド)にFLASH職人が映像を後付けしているもので、アルバムカバーとの雰囲気の違いからして『恋と病熱』のMVも同じように作られたと考えて良いと思う。でも今重要なのは製作工程そのものでなく、『あの雰囲気』が何処から生まれたかだ。そして『雰囲気』なるものが何から生まれるか?それは『雰囲気以外を生み出している全てのもの』を除いて残っているものだろう。それは映像や文章の端々に散らしたガジェット(小道具)と会話による台詞回し、映像作品なら絵柄や光源(画像にかけるフィルター)にBGMもそうだが『固定の音楽に映像を付ける』MVでの雰囲気なため音楽は固定、そして映像内に会話も存在しない。残されているのは絵柄と光源(小説における筆致の部分)、そして物質的なガジェットであり、加えて言うならMVとしての絵の動き方であるだろう。

ここから書いている文章の書かれた時系列が混濁するため、『①インタビューからの製作者の解析』『②絵柄と光源、物質的なガジェットとMVとしての絵の動きについて』の二つのアプローチに分けて解析していく。そして絶対に忘れてはいけないこととして、私が求めるのは『作者が込めた意味』ではなく『見た人が受け取る印象』である。必要なのは作品に対する論理的な考察ではなく、如何にしてそれが自分の感情を動かしたかという技法の解析だ。

 

①インタビューからの製作者の解析(②の『巨大な破壊』についての文章から繋がりますが、同時に②の文章自体が①を前提にして進められるため此方を先に置きます)

 

『恋と病熱』が収録されている『diorama』のアルバムジャケット及びクロスフェードのMV自体をデザインしたのはハチ(米津)氏自身だが、『恋と病熱』MVの雰囲気は他からするとむしろ異質なものに見える。動画として『南方研究所』による合作であるとは思うが、pixiv見る限りだと南方研究所の中でも『うつした』氏のものが一番近いように思われる。さて彼のTwitterを漁る……あっ違うわ『研究日誌』なる公式ブログにタスク氏がMV作ったよって書いてる(絵に関しても感性からっきしである)。さて気を取り直してタスク氏のTwitterを漁る。MHWやってる……(良いよね今作は弓と棒と軽弩を使ってるけど非常に楽しいです)基本的にTwitterで広報以外に創作関連については呟かない人らしいということは分かりました(Twitterはあくまで誰にでも見える個人の日記帳なので他人がどうこう言う筋合いはなく、自分はその盗掘者に過ぎないわけですから金目のものが出てこなくても文句を言える立場ではありません)ただゲーム好きってのと実写での動画とかも手掛ける方ってのだけは分かりました。あと渡辺タスクで直接google検索すると別の人が先に出る……あっあっ待ってインタビュー有る、作品がどうやって生まれたかについて聞いてくれるインタビュー私好き!デジタル雑誌で公開終了してる部分も多かったですが、残った部分をサルベージして以下引用

“インタビュー ――大切なのはシステマティックであること

◆創作活動の中で、心がけていること、大切にしていることは?:システマティックであること

◆尊敬しているクリエイター、影響を受けたクリエイターは?:平沢進

◆今、夢中になっているもの、気になっているものは?:プロテイン(Champion)

◆ハチ氏との南方研究所制作のPVが注目されていますが、動画のアイデアはどのようにして出すのでしょうか?

アニメーションに関しては楽曲が付くので、当然ですがそこから考えます”

そして影響を受けた本については『熊の場所』『ILLUSION ACTS LIKE MAGIC』『』『ハサミ男』『コズミック』……真ん中の一つの文字がどうしても判別できないのが心苦しい、とはいえ大凡の表紙は分かってるのでそのうち巡り合うだろう(追記:心優しい協力者のお陰で『クリスマステロル』と判明しました、メフィスト賞作家が多い)。『システマティック』か……まあ平沢進氏の作品と上記五冊(四冊)から『システマティックさ』の最大公約数を抜き出して模倣するのが手っ取り早いでしょう。

そして『歌詞からPVを作る』というのは当たり前でありながら、とても大きな収穫であると云えましょう。歌詞とは往々にして楽曲の一要素でありながらも一種の心の叫びであり、一部の小説家は『己の内包するテーマから小説を作る』ということ(私もそうだ)と共通点が見出せる。胸の内を叫ぶ特定の一節が物語よりも先にあり、それを基に物語を起こす。それに際して大まかなストーリーラインと物質的ガジェットを設定し、一連の映像もしくは小説を描き起こす。

 

②絵柄と光源、物質的なガジェットとMVとしての絵の動きについて。

 

何よりも映像でフォーカスされるのは『人』であり、作中において二人だけ登場する顔のある人間にカメラを寄せてMVは展開される。大まかに分けて出会う前と、出会った瞬間、一緒に居た時と、離別の瞬間と、別れた後の時間軸に分けて話が進むが、最初の30秒ほどで『出会った時』の動的なシーンを一気に出し切って、その後2分目辺りまでは『出会うまでの二人』らしき個別のシーンを長回しで切り替えて撮っている。冒頭部において映像フィルムらしきエフェクトと上映するような『回想する作中作』という扱いになっており、視点主にとって一番印象的で動的なシーンである『出会いの瞬間』を冒頭に叩き込むことで視聴者を映像内に引き込めるのは『記憶の回想』だからこそ可能な芸当である(これは何度か見返して時系列的に理解できることではあるが、一度目の視聴時のインパクトを作中の矛盾無しに稼ぐ点において決して無駄ではない)。そこから『一緒に居た時の二人』の一幕を何枚かの絵によって描写するが何やら不穏な要素(『顔のない人間』)が混じっており30秒ほどでクライマックスとなる『離別の時』が描かれ後奏で『別れた後』が描写される。改めて時間配分に気を付けながら見直したことで『出会うまでの二人(即ち個別の描写)』と『離別の時』の時間的な比率の高さに気付かされ、このPVがあくまで『二人で居る時』ではなく『離別』の瞬間にこそ焦点を当てることで斯様な雰囲気を出していることが分かる。にも関わらず『二人で居る時』のインパクトがそれ以外に劣らず濃いものとなっているのは、冒頭と中盤において小出しにされる映像が二人の過ごした時間を少ない情報量で最大限に伝えるものだからだと考えられる。

最初の方において『PVには物語がない』と言っていたが、『脈絡がない』が正しいだろう。この映像において物語は『どうなったか』についての連続によって構成され、『どうしてそうなったか』についての説明は基本的に為されない。それが無駄のない雰囲気の演出に繋がっておりPVとしての正解であると同時に、PVの雰囲気を小説に落とし込もうとしている自分にとって必ず踏まえなければならない点でもある。小説に『歌詞』はあれど『曲』はなく、そして曲は大凡『雰囲気』という要素にとって極めて重要である。元より小説とは製作側も受け取る側も脳の働きに依存する比率が最も高い創作媒体であり、旋律の代わりとなるものは読者の受け取る情報に仕込むべき起伏と、伏線回収の技巧などストーリー的な脈絡であり、逆にそれらを満たせない限り文字だけの媒体で漫画やアニメを越えることはできないだろう。以下、映像内で取り扱われているガジェットについて。

 

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・『巨大な破壊』

南方研究所がPVを提供した『DIARY』という作品においてもこれがある。そして往年のFLASH作品などこれの塊のようなものだ。ハチ氏の手掛けるパンダヒーローやドーナツホール等のPVとは完全に別系統の『恋と病熱』に類似したもので、恐らくは同じ人がメインでやっている。(⇒①の冒頭部はここから接続します)元であるFLASH作品においてこれらの『巨大な破壊』は基本的に映像の派手さのためだけに使われたが、『恋と病熱』においては内面の不可逆的な変化に『破壊』という事象を添わせる形で、『DIARY』においては生における困難と苦痛に添わせることで派手さ自体に意味を与えている。

・『特殊な建造物と存在しない街』

『恋と病熱』のMVでは夕暮れの工場地帯が主舞台となっており、その他においても横断歩道や錆びたバス等『現代寄りの廃れた雰囲気』が前面に押し出されている。そして街の住人らしきものとして描かれる『顔のない人』は人間からは外れた造形であり凡そ好意を持ちづらい何者かとして描かれ、離別する二人のうちの『消える側の人間』がこれに近いもの(黒塗りのロボット?)に成り果てたりする。DIARYにおいても成り果てはしないが似た者が存在し、蛙だったりもする。

“好きなものが少なくなる 嫌いなものが沢山増えた”から始まる歌詞からして『成り果て』る要因は一番平たく言って『経時』だが(狭義の言い方だと『老い』だったり成り果てるものは『大人』だったりする)、重要なのはそれが歌詞から生み出されたものであることだ。ただ『好きなことが少なくなり 嫌いなことが沢山増えた』という感覚的な、そして共感するものの多いテーマから、その要点を失わぬままに視覚的なインパクトを底上げするために用いられている技法について次のガジェットを用いて解析する。

・『動物の被り物』

単純な事実として、日常において動物の被り物をした人間は居ない。PAYDAYやホットラインマイアミなんかにも動物の被り物はあるが文脈がかなり違うので取りあえず置いとく。DIARYにおいては『(経時による)避けがたい変化』を人外になぞらえているとも考えられるし、また『顔のない人間』と同じ『個人を判別できない⇔無個性な大人』と捉えることも可能であるが、ここで行われていることは『無個性な大人⇒(個人を判別できないという印象⇒)個人を判別できない着ぐるみ/顔のない人間』という置換である。『読者に与える印象/共通認識として抱かれる文脈』をフックにして、戯画的に『どうなったか』という物語の振れ幅を拡大する。これが文学的で抒情的な、悪く言えば話の起伏に乏しくなりがちなストーリーラインに良い意味での漫画チックな派手さと非日常性を付け加えることに成功しており、特段に重要な技法であると言えるだろう。(歌詞のメッセージを表すには上記では言葉足らずだろうが、単純な言葉で完璧に表現できるなら歌も小説も必要ない)

・『映像制作/執筆活動』

重ねて言うが、これは製作者の意図を読み取る国語の問題ではない。それが受け取り手たる自分に与えた影響を理解し、それを自らの創作にも活かすための思索である。まず自分がこの映像を見た最初の時に感じたことを思い返すと、それは『青春』であり『二人の時間』そのものとして受け取ったように思う。『映像制作』が軸となることで二人の関係を恋愛と断ずることなく、そして同時に不可逆に別れへと突き進んでいく青春の一幕として受け取らせたように感じた(何が正しいかではなく、どう感じさせられたかが重要だ)。そして彼らが離別した後に思い出の残骸として、そして失われた後も決して消えない記憶として映像のフィルムが残り、またメタ的な観点からも冒頭の『出会った瞬間』の早回しの映像を無理なく展開することを可能にしている。

 

ちなみに自分が前の失敗において見つけ出した最大の課題とは『思考のままに書くと字数が激増する』という問題の解消なのだが、現時点で八千字書いているようだ。字数が多ければ多いほど良いのは読書感想文と大学のレポートくらいで、読む方は疲れるから読みたくなくなるし書く方は終盤疲れて雑な文章になるし本当に良いことがないのである。この怪文書だって前半ほとんど意味のない駄文だし結論なんて

・歌詞(小説におけるテーマ部分)に乗せられた『一般に共感されるような感情(今作だと大人になることについて)』から『無個性な大人⇒(個人を判別できないという印象⇒)顔のないロボット的な人』と置換することでありがちな出来事に物語的なインパクトを生み出す。

『どうなったか』という純粋な出来事についてのみ描くことで『どうしてそうなったのか』という脈絡を破棄して雰囲気を前面に押し出しているが、これを小説でそのまま使うことはできない。(ただし『どうなったか』について焦点を当てること自体は参考にすべき)

・物語において焦点を当てる出来事(今回だと離別の部分)について尺を長く取り、そうでない部分についてはダイジェスト的に絵になる一幕を連ねることで『どうなったか』という簡単なストーリーラインを確保するに留めることで焦点部分の雰囲気を作品に活かす。

くらいのものであり、この文を短縮するためには結論部分を中心にその周辺の関係ない部分を削っていけばいいんだけど書き手からすると二度手間であり、ならどうにかして一度目の文章を書く時点で無駄が生まれないように(或いは少なくなるように)出来ないものだろうか、というとこまで今回の駄文によって自分の文章の手癖を省みることが出来たのは収穫でしたね(最終的な結論)

◎このブログについて

 

漫画家は絵を描きます(当たり前ですね)

ですが小説家は必ずしも小説の他に文章を書くとは限りません。

そして落書きや下絵、ペン入れをしっかりした一枚絵、コマ分けして台詞を入れた絵の集合としての漫画、という労力と創作媒体としての完成度が相関する段階のようなものが絵にはあるわけです。が、小説と漫画は創作物として成り立ちますが一枚絵で金を取るとなると少なくとも画力がプロ級でないとならず、そして絵とは違い読むために金のみならず労力と時間を少なからず消耗させる小説というのは、おおよそ新人賞を勝ち取るか なろう辺りでデイリートップに躍り出るくらいはしないとマトモに読まれもしないわけです。

SNSでの呟きなんて頑張っても精々が落書きや下絵のようなもので、まあ無駄ではありませんが下絵だけ描き続けてもペン入れや漫画までが上手くなるわけではありません。そして一度のスパンあたりに膨大な時間と手間を要する漫画/小説とは実際のところ何かしらの反響を期待せずにはいられない本番のようなものであり、練習のために書ける数にも限りがあります。そして下絵のプロットや呟きと完成品たる小説の間には大きな隔たりがあり、下絵と漫画の間に位置するものとして『一枚絵』にあたるような、数を回せる『読まれるための短い文章』というものを練習することが自分には必要だ、ということで発信のための文章を練習する場を設けた次第です。

私に必要なのは実際にウケて読まれることではありません、ただ『読まれることを意識した文章』というものを日常的に書き続け、本命たる小説に向けての文章力と構成力を養うことにあるのです。むしろウケないこと、読まれないこと、それに悩み修正を加え続ける試行錯誤を今ここで繰り返すことで、一度のトライに膨大な手間と時間を消費する小説におけるエラーの数を減らすのが目的であると云えます。私は基本的に『こういう小説書きたいよね……』みたいな話をつらつら書いていく『小説書けないよね談』に終始すると思いますが、また違ったものを書くこともあると思うので楽しみにしていてくださいね。